骨のある部屋

@honebeya206

皮剥ぎから骨になるまでの過程をあまり載せない理由

 動物から骨がどうやって取り出されていくか気になる方はいると思う。筋の付き方や内臓の位置や脂肪の量など、生でしか学べない部分はたくさんある。ニワトリを骨にする途中、将来卵となる小さな卵が体の中に無数にあることに驚き、硬い殻に覆われる前の卵の膜の存在に感動した。この感動したことを共有したいと強く思った。けれど、私は写真をネット上に載せないのは、悪意を持って勝手に写真を使われたくないからだ。

 

 ちょっと前にTwitterで拡散されている文に人の体が著しく損傷した写真を載せて、不特定多数の人に精神的ダメージ負わせている人がいて、それも結構執拗にやっていた。私はその写真を全部チェックした。その写真の中に撮ること自体が故意に感じる写真もあったが、現状を伝える記録として撮ったのではないかと思うような写真もあった。

 嫌がらせのために使っている写真は、本当はどんな意味を込められて撮られたものなんだろうかと考えると、悲しい気持ちになった。本当はどんな想いが込められていたのだろうか。

 

 写真はいくらでも加工できる。最近撮られたものなのに過去に撮られたものとすることも、その逆もできる。都合の良いように切り貼りすることもできる。「加工されたもの」と証明されるより前に「これは悪だ」と受け取られ拡散されたら収拾がつかない。疑ったらキリがないけれど、私は連続ドラマ「まんぷく」の萬平さんの「みんなが美味しいと言うスープを作る」と言ったように「みんながそうなっていたのか」と言えるような写真と説明にならない限り、載せたくない。

 

 学部生時代にお世話になっていた先生は「骨の写真も載せない!」と言っていた。面白いことに、その先生と犬猿の仲の先生も写真のことだけは意見が一致していた。恩師の機嫌を取るには「(不仲の)〇〇先生が作るテストは問題が悪い」と話題にするだけで平穏に過ごせるほどだった。

 

 人の受け取り方は様々で、あるスーパーの宣伝文句に「ないものはない」と書いてあった。スーパーなので「なんでも揃っています」という意味なはずだが、意地悪く受け取ると「棚になかったらないよ、諦めて」とも見える。

 写真一つの受け取り方が分からないからこそ、今はまだ慎重になっていたい。

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